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人は一代、寺は末代

過去の営みを未来への道しるべに

壽仙院 ししおどし

 当山は、慶長8年(1603)、ちょうど徳川幕府開府の年に江戸・小伝馬町で創建されました。もともとは顕本法華宗に属していましたが、昭和16年(1941)に日蓮宗となりました。

 仏教寺院は、各宗派を合わせるとおよそ八万ヵ寺が国内に所在します。その多くは檀家さんを持ち、ご先祖代々の墓所がある「檀家寺」といわれる寺院であり、当山もその一ヵ寺です。どの寺院にも宗派の開祖がいて、地域への想いや布教目的をもって創建され、脈々と法灯が受け継がれてきました。それが町や村の「お寺」として今に残っています。大きな歴史のうねりの中で時代に翻弄され、それを乗り越えて今日まで続いているお寺には、歴代の住職や檀家さんのさまざまな想いや苦労が詰まっているのです。

 また本来、お寺はご先祖を供養するだけの場ではありませんでした。地域の寄り合いの場であり、寺子屋のような学びの場でもあり、住職にさまざまな相談をする場でもあったのです。お寺とは、過去の人々の想いや営みが詰まった「魂の宝庫」であり、「地域の歴史」そのものといえるでしょう。

 しかし、時代の流れと職業の細分化により、現在のお寺のイメージと役割が定着していきました。そして今、先人たちの想いや彼らが培ってきた歴史は、ともすれば忙しい日常に埋もれてしまいがちです。私たちは誰もが大自然や先人たちの目に見えない力、すなわち生命の連鎖の中で生かされています。

 この現代社会において過去や現在のありようから、これからの五十年、百年の行く末、寺院がご参詣の皆様と共にいかに在るべきかを見つめたい。そうした想いがあります。檀信徒の皆様はもとより、当山に足を運ばれる縁のある皆様に当山の縁起やご供養、そして平成から令和にかけての近年の活動などを広くご理解いただければ幸いです。

浅草 泰昭山 壽仙院

第三十四世住職 﨑津寛光

壽仙院 本堂

浅草に佇む「静寂」と「安らぎ」壽仙院

 日蓮宗は、「日蓮聖人」(1222~1282年)を宗祖とし、お釈迦様の説かれた経典の中でも「妙法蓮華経」(略して法華経)を拠り所としています。お題目は「南無妙法蓮華経」と唱えます。南無とは帰依することで、法華経の教えに心から従いますという意味です。
 日蓮聖人は、このお題目を口で唱えることによって私たちの身体そのものが仏となり、この世がそのまま浄土の世界になるという教えを説いています。ご本尊は「大曼茶羅」という十界(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六道と声聞、縁覚、菩薩、仏まで)を総じて文字として表現したものです。天照大神や八幡大菩薩も含まれます。これら十界勧請の神仏は、教えと救いが永遠に続くことを表しています。